去年、コロナが始まって、まぁ・・しばらくすれぼ収まるかな? せいぜい秋か今年一杯かな? と思っていましたが・・。まぁ店も暇やろし、シリーズ化された本でも読もうかな? 本棚を見渡し20年ほど前に読んだ、司馬遼太郎の「街道をゆく」(全43巻)を手に取りました。やっぱり、おもろかったですね。 半年ほど前に読んだ箇所が印象に残っています‥。居酒屋の事が書いていたんですが・・。
私はべつに飲み助ではない。一ト月でも酒なしですごすことができる。しかし飲み屋というものがいかにありがたい存在かということは知っている。画家が自分の絵をならべて個展をするように、飲み屋というのはあるじ自身の人間の個展なのである。人はその人間に触れにゆくわけで、酒そのものを飲むなら、自動販売機の前でイスを置いて飲んでいればいいのである。 しかも、飲み屋というものの存在理由は、行けばあるじがそこにかならずいるということだろう。友人をその家に訪ねれば居ないということもあるし、いても静謐をさわがしてしまう。親戚をたまに訪ねたいが、結局はわずらわせる。その点、飲み屋は勘定がたまらないかぎり、いやな顔をされない。 ひょっとすると、飲み屋は、高級のクラブなどをのぞいては、渡世であっても商売ではないかもしれない。このへんはむずかしい。飲み屋のあるじは、友人・親戚の代理人であるという点では公益事業人だが、かといって商売以外のなにものでもない。しかし商売気があらわに顔に出ると客は仰天し、錯覚から目を醒ましてしまうのである。 「街道をゆく 27」 梼原街道 200p 司馬遼太郎
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